「永遠の家出少女」の旅立ち 〜『”greenwater” ’06』

彼女は旅に出たんだ。



「平凡にして非凡なる日常」というサイトがあります。
藤原緑さんという方が運営されていたテキストサイトです。


僕がインターネットを始めたばかりの頃 、今の禎森というHNでは無くもっと小難しいHNで
適当な日記とセルフ写真のサイトをやっていた頃に、 緑さんの「平凡な日常の中にある愛情と苦しみ」、
そして「希望を信じ続けた日記」に惹かれ、かつての自分のサイトからリンクを貼っていました。


しかし彼女は今年2006年1月7日に永眠されました。
享年32歳。


僕の回したイベント等でニアミスはあったものの、 正式に彼女に出会い
話をすることは叶いませんでした。 本人の遺志を無視し客観的に言わせて頂けるのなら、
早過ぎる死です。とても悲しく非常に残念でなりません。もう会えない。出会い語り合うことが出来ない。
出会いたいと願う人間がここに居たこと。 それを伝えられなかった悔しさ。
「人が亡くなる事は、多くの人の悲しみを生む」、そして僕はとても悲しいです。



緑さんは生前、友人にこう話していたそうです。
「死ぬときはできるだけたくさんの人にみとられたい」
残された人間は、その遺志を大切に受け継ぎたい。
沢山の人がそう願い、昨日24日に、三軒茶屋のラウンジカフェにて追悼イベントが行われました。
諸事情により集合時間よりかなり遅れて到着してしまった事、
スタッフの方々、お客様に心よりお詫び申し上げます。本当にごめんなさい。
また入場時に手渡された、氷魚さんが制作された小冊子を読んでつい目頭が熱くなり、
二階に逃げて涙ぐんだ自分が情けなかったです。明るく楽しく過ごすためのイベントなのに。
僕って本当に空気の読めない人間なんだ、と痛感しました。



僕は初対面の方に対して極度の人見知りで、まるで動物園の檻の中の動物のように
ずっと DJブースに篭もり延々と酒を飲み、ひっきりなしに煙草に火を付け(ニコチン依存症)
「緑さんならこんな曲好きかなぁ」なんて考えながら延々とBGMを流していました。
真心ブラザーズは4曲もかけちゃって熱唱しちゃって。中村一義も、堂島孝平も、くるりも、
スネオヘアーも、FISHMANSも、BRIDGEも、TRATTORIAから出てたコーネリアスのバンド演奏の
ムッシュかまやつの「ゴロワーズ」も、カヒミカリィと小山田君のデュエットも、ピコも。
ネオアコギターポップが好きだった緑さんが好きそうな、有名でベタなレコードも。
アズテックカメラとか、レジェンダリーとか、ジムジムニーとか、スペアミントとか、初期のミントロイヤルとか。



しかし、初期スピッツの「夏の魔物」のリクエストに応えられなかったことが心残りです。
(お詫びに僕の大好きなスピッツの「田舎の生活」をかけさせて頂きました、お許し下さい)
何人かの方がブースに篭もる僕に、「一人で大丈夫ですか?疲れませんか?」と
お声をかけて下さって有り難かったです。コミュニケーション能力が低くて本当にごめんなさい。
でも僕がこのイベントで緑さんの為に出来ることは「BGMに徹する」以外には何も無かったので
他のDJの方々には長々とブースを陣取ってしまい、逆にご迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした。
そんな中でも「ドクデスでの禎森さんのDJを聴いて、すごく好きになったんですよ!」と
声をかけて下さった方がいらして、本当に本当に心の中で「ウギャー!」ってなる程に嬉しかったです。
正直、もう DJ を辞めようと思っていた矢先だったので、凄くパワーを頂きました。有難うございます!!!



また、緑さんの15年来のお友達の方とお話することができ、どうやら僕の目元は、
緑さんにとても似ているらしく、また同じく選曲担当だったおしっこさんも
顔が緑さんに似ているらしく、もし実際に緑さんに出会えたならば
[ドッペルゲンガー]だったのになーなんてちょっと嬉しいような残念なような気持ちになりました。





本音を一回だけ言っちゃっても良いかな。許されるかな。後から消すかもしれないけど。
「僕は緑さんにとても会いたかった。僕の作ったごはんを食べて貰って、一緒にお酒を飲みたかった」




僕は無職で失業保険を貰って毎日家事ばかりして、本当に腐った生活をしていて
しかし音楽を聴くこと、趣味は偏っているが本や漫画を読むこと、
セルフ&静物の写真をダラ撮りすること、HTML&CSSの基礎を独学で勉強していること
そして何よりもアンガールズ山根くんを観ることにしか幸福を感じることが出来ない変な奴です。
でも僕はそんなちっぽけな事ばかりだけど、それだけ沢山の幸福を感じることが出来ることを
今は大切に思っています。大切な物があることの喜びを、この夜に感じました。
緑さんは沢山の方に愛されていた。愛されていたけれど、彼女は自ら自由になりたかった。そして旅に出たんだ。
僕は緑さんを否定しません。緑さんの綴る言葉に共鳴したり助けられたり、時に笑うことができたこと、
それを忘れないでいくこと。彼女に出会った沢山の人達が彼女のことを話し続けていくことが
一番大切だと感じます。忘れるわけがない。人の思いは何よりも強い。


今さら遅すぎるのですが、「心よりご冥福をお祈り致します」